世界の住人(。・_・。)

 
 
こんばんは。
 
 
 
今日の記事はアイドルもその他の趣味も全然関係ありません。
 
ただぼくの記録として、記憶のバックアップとして、ここに残しておきたいだけ。

長いです。重いです。
 
 
 


 

 

 


 
ぼくは今大学生です。
今年で21になりますが、浪人をしていたため現在2年生です。
そして今週、大学に休学願を提出しました。
今日はそのお話です。

 

 

 


 

 



なぜ大学に入ったんだろう。
なぜ大学に行こうと思ったんだろう。

 

この答えはだいたい出ています。
高校時代から散々考えていたから。 


深い理由などありません。

 

「働きたくないから。」

 

9割がこれです。
あと1割が何かと言われれば、人並みにできることがお勉強しかなく、この道が自分には合っていると思ったから。
はっきり言って、適当です。
けど自分にはそれしかないと思ってた。
昔から自分は大学に行くのが当たり前だと思って生きてきた。
今思えばその思考は大いに間違っているのだけど。

 


大学とは。
大学は本来、「研究機関」です。
高校までとは違い、各々が専門的に学びたいことを選択し、自ら抱いた問いを追究する。
つまり、「学びたい人」が行くところです。


じゃあぼくはどうか。
適当に大学進学を決めました。
もちろん勉強なんて嫌いです。
それしかないからやっただけ。
大学受験だって、それしかないと思ったからやっただけ。

それしか出来ないからやっただけ。

 

入学以前から大学が研究機関であるということくらいは認識していました。
だから学部学科はかなり慎重に選んだし、今所属している学科以外は受験もしていません。
けどぼくはいつもこうで、認識が甘い。
実際に自分が痛い目見るまで気付かない。
選び方も、結局は消去法でした。
でも嫌いなことではないし、むしろ好きだし、高校中退経験もあるし、今度こそは絶対4年間ストレートで卒業してやろうと思ってた。
できると思ってた。

 

 

 

 

 

 

 


けど今。


今のぼくは朝起きて学校に行ってわけのわからない何も面白くもない講義を聞き流しながら90分携帯をいじるだけの時間になんの意味も感じなくなってしまった。

 

何の意味も感じなくなってしまったというか、そんなものに意味などあるわけなく、ただぼくが自分で意味のないものにしてしまっているだけ。

 

なぜ自分は今この時間をここで過ごしているのか?

 

常にその意味を問うてしまう。
これは最初のブログにも書いたこと。


ぼくが大学に通ってほしかったもの、それは〝知識〟〝研究結果〟ではなく、ただの〝卒業資格〟だった。

 

よってぼくがそこに存在する意味は、卒業のため。大学卒業資格のため。

じゃあ何のために大学卒業資格が欲しい?

 

 

就職のため。

 

 

いい会社に就職して、たくさんお金をもらうため。

 

 

 

ぼくは昔から夢が無い。
自分に自信が無い。
夢と語れるものが無い。

「こういうの、かっこいいな~」と思ってきたことはもちろんある。
けどその可能性は、夢は、数秒のうちにぼくの脳内で掻き消される。

 

「ぼくには無理だ。」

 

ぼくはやりたい仕事がない。
だから就職するのはお金のため。

 

じゃあお金があれば就職しなくていいのか?

 

いい。

 

ぼくの中ではそれでいい。
ぼくの目的は、「就職する」や「仕事をしたい」ではなく「お金が欲しい」にある。

つまらない人間だと嗤う人も多いだろう。
何も否定する気はない。

 

 

 

 

ただぼくの性格。
これまでの経歴。
何をどう考えても就職して勤め続けられるとは思わない。
これは昔から思っていた。
今は確信しているけど、昔は大学と同じ、「やってみればまあできるだろう」と思っていた。
けど今はわかる。

 

 

絶対に無理。

 

 

じゃあどうする?

ぼくの中でひとつ見つけたルートがある。

今ここで話せるようなことじゃないけど。

それをやりたい。

今それに全力をかけたい。

大学で無意味な時間を貪るくらいなら、自分のやりたいこと、自分が積極的に行動できることに時間を使いたい。力を使いたい。

 


もちろんそれをやりながら大学に通うことだって全然出来る。

これはただぼくの能力が低いだけ。シングルコア。何か一つにしか集中できない。マルチタスク?無理。
スマホより能力低い。(。・_・。)

 

 

 

 


だから休学した。
やっとここにたどり着いた。
ここまでどんだけ語ってんのぼく。

これが間違いか正解かなんてやってみなきゃ絶対にわからない。

 

間違いかどうかなんて

自分でやってみなきゃわかんない

 

って歌ってるバンドがいた。めっちゃいそうだけど。


ただ、今ぼくの力で正解に近付けることはできる。

正解か間違いかなんて、俺が決める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


人を避けて生きてきた。

小学生の頃、いじめってほどでもないけど友人に恵まれず、人間関係を断絶をすることを覚えた。

自分に嫌なことを少しでもする人間とは、すぐに縁を切るようになった。
じゃないと付け込まれるから。
全力の自己防衛。

 


今でもそれは変わっていない。
というか、もう変えられない。
だから人間関係は希薄。
希薄って言葉が正しいのかわからないけど、狭く深くってやつ。
気が合う人とはとことん仲良くする。
合わない奴とは出来る限り関わらない。
だから友人は少ない。

 

 

 

 

 

中学生時代まで、つまり地元にも友達はいるが、ぼくの選択をどうこうは言わない。
「それぞれのやり方、生き方があるから。」といったスタンスの友達ばかり。
きっと今回の休学の件を話しても「そうなんだ~がんばれ~」といった反応が返ってくるはず。

 

 

高校時代、まともに友達がいなかった。
高校に進学してすぐにわかった。
「ここはぼくに合う世界じゃない。」
気が合うと思える人がいなかった。
「仲良くしたい」と思える人がいなかった。

 

2の秋、辞めた。
誰からも連絡は無かった。
そもそも気付いてすらいなかったのかもしれない。
けどそれを当たり前に思っていたぼくは、完全にこれでよかった。
はっきり言ってギャーギャー言われる方が鬱陶しい。
ラインにいた高校の人は、全員友達削除した。
ツイッターは全員ブロ解した。
別に全員が全員嫌いだったわけじゃない。
ただ関わる理由がないから絶った。

 

 

 

ぼくの高校までの人生には、そんなに周りに人がいない。
すごく仲の良い友達はいる。数人。
彼らしかいない。

誰にでもいると思う、特に何とも思っていない、学校、バイト、という繋がりがあるから繋がっているだけの友人。
ぼくは彼らのことを何とも思っていない。
彼らもまた、ぼくのことを何とも思っていない。
言い方は悪いが、「いてもいなくても変わらない人」。
そういった人たちはもちろんいる。
けど、ぼくに情がある人間なんて、本当にほとんどいない。


家族もそう。
ゴミ扱いされてきた。
秋葉原の無差別殺傷事件。
忘れもしない、200868日。
そのニュースが流れる横で、当時小学校6年生のぼくは「お前もこんなふうになんだよ!!」と親に怒鳴られていた。
驚きもしなかった。いつも言われているから。
どうせ言われんだろうな、と思っていたら、やっぱり言われた。
ほとんど行ったこともない新宿駅に連れて行かれ財布を奪われて放置されたことも心療内科に連れて行かれ施設にブチ込むぞと親からも医者からも言われたこともあった。
他の似たような環境の人と比べれば全然酷い話ではないけど、"いらないもの" であったことは明らかだった。

 

はっきり言って、人を信用していない。

 

ぼくの思考は、「ぼくが存在していて何か他人に意味を与えることなんてない」。
ぼくなんかいてもいなくても同じ。どちらかといえばいない方がマシ。
ネタで言っているように聞こえるかもしれないけど、思考の土台部分がこれで出来ちゃってる。


死にたい。
死んだって別に誰も何も思わない。
「あ、そうなの。まあ死にそうだったよな。」
こんな感じだろう。

 

 

 

 

 

 


そしてここからが大学以降の話。
やっと書きたかったところまで来た。

休学した日、休学願の写真を撮ってツイッターのリア垢に載せた。

 

「いやお前まじでやったんかーい」
ってネタレベルのつもりだった。
「この先どうすんだよwww」
って笑われるくらいの気持ちで。


仲良くさせてもらってる友達からリプが来た。

 

「期間は?」

 

「とりあえずこの半年だけ。」と返信した。

 


ここから、事態が変わる。

 


返ってきたリプライは、これだった。

 

分かってる事だろうと思うし、ムカつかれるのを承知で言うけど、復学するのはめちゃくちゃ大変に決まってるんだから、「とりあえず」って考えはやめて欲しい
1
年休学となると新卒資格が危うくなるから、3年春から復学する事を心配かけてる人間全員にちゃんと約束して欲しい

 


言葉が出なかった。
何が起きているのか、わからなかった。


「『とりあえず』って考えはやめて欲しい」
「心配かけてる人間全員にちゃんと約束して欲しい」



ぼくが休学しようがその結果人生落ちぶれていこうが知ったことじゃなくないのか

 

心配かけてる人間そんな人、いるのか
ぼくのことを心配する人間が、ぼくのことを気にかける人間がこの世にいるのか

 


本当に理解できなかった。

正直、「は?」って思った。
「何言ってんだ?」と。

 


夜、その友達から不在着信がきていた。
何を言われるのか不安でどうしようか迷ったが、さすがにここまで来た時のぼくは彼がぼくのことを気にかけてくれていて、心配してくれていて、ぼくのためを思って行動してくれていることくらいはわかっていた。


電話をかけた。


全然なんてことないいつも通りの感じだった。
気を遣ってくれたのだろう。
全く別の話から入った。
数分後、本題へ。

 

 

 

「春からは来い」

 

 

 

言われたことは基本これだけ。
あとはその理由。
ここでぼくは自分の思考が全く及んでいないことを知る。

 

彼はぼくの何倍も先が見えている。

 

大学卒業の先に何があるのか、新卒資格とは、卒業に必要な単位とは、その難易度とは、現在の状況は

 

すべてを持っている。すべてをわかっている。
ぼくはただ目先のものだけを見ている。
彼の言っていることは全て正しいし理に適っている。

 

「春からは来い」というメッセージに、どう "NO" と言おうか考えていたぼくの思考は、1時間後には大きく変わっていた。

 

その変わった理由は、もちろん今言った卒業までの道、卒業後の道についての話もある。
非常に論理的。納得するしかなかった。

 

 


けどぼくに響いたのはもうひとつ。
リプライにもあったもの。


「みんな心配してる」
「俺だって1人で必修受けなきゃいけないよ」


感情のお話。


大学に入った時、高校みたいな後悔をしたくなくて、初日から必死にお友達を作った。
とりあえず周りにいた人に手当たり次第話しかけた。
そんなことしたことないのに。
高校入ったときなんて、入学から2週間誰とも会話出来なかったのに。


そしてどうやらその時の行動は、ぼくの想像の範疇を遥かに超えて様々な部分に影響を及ぼしていたらしい。




彼との通話を切ると、他の友達からメッセージが来ていた。

 

「電話できる?」

 

30分ほど経っている。
この友達がひどく心配していたという話は、さっきの友達から電話中に聞いていた。

 

すぐに電話をかけた。

 

出るとどう考えても相手のテンションがめちゃくちゃ低い。
声から「お前何やってんだよ」と伝わってくる。
最後まで特に中身のある話なんてなかった。

 

ただ、

 

「休学したら、そのまんま辞めちゃうんじゃないかって。」

 

そう言われた。


正直、最初はそのつもりだった。
うまい嘘をつける人間でもないから曖昧な答えを返してしまったけど、もうこの時には辞めるという考えはあまりなかった。
ただ約束は出来なかった。

 

 

最初に話してた友達とは違って、何かを論理立てて言われたわけじゃないけど、休学しないでほしいし辞めないでほしいって気持ちだけは苦しいほどに伝わってきた。

 

 

それまでの人生と比較した、衝撃とともに。

 

 

「ちゃんと大学生やれてた」
とか
「向いてなくない」
とか
「最終的に自殺すればいいとか思ってない?」
とか

いや思ってるけど。



けどそれより、こんなふうに思ってくれてる人がいたんだって、ここにきてやっと気付いた。

 

「遅すぎだよ」

 

って、言われた。


その通りだ。

 

 

電話口の彼女はたぶん、泣いていた。(いや重)

 

 

 

 


最後。

大学でいつも一緒にいるぼくを含めた学科の6人グループがある。

学校に行かなくなり、気まずくてグループラインも開いていなかった。

休学願を出した日、開いてみた。
溜まっていた件数はおよそ40件。
1週間分だったと思う。
こんな言葉が並んでいた。

 

「やめんの?」
「まじ?」
「止めるよ俺は」
「とりあえず呑みに行こう一回」

 

涙が出そうだった。
というか、むしろなんで出なかったのかわからない。
やっぱり感情が希薄な人間なんだろうか。


休学することを伝えた。
するとこう言われた。

 


 

 


「できれば一緒に卒業したかった」

 


 

 


これが一番重かった。

一番キツかった。

やっちゃいけないことをやったと、心の底から思った。



またひとつ裏切りに気付いた。


また人を裏切った。

 

今までを思い返してみれば、確かに他の人も心配してくれていた。


けどそんなわけない、実際行動を起こしたときに何かがあるわけじゃない、とぼくが勝手に決め込んでいた。




 

 

 

 

 


大学以後のぼくの周りには、人がいた。

 

 

 


それに唯一人気付いていなかったのは他でもないぼく自身だ。

 


 

 

人を裏切った。
自分を信じてくれた人の心を引き裂いた。

 


 

 

〝裏切り〟なんてものになるなんて、全く想定していなかった。

 

 

 


ぼくの思考の中には、その前提となる〝相手からの信頼〟が存在していないから。

 

 

 


 

 

 


誰の気持ちにも気付いていなかった。
人の感情を、驚くほど汲み取れていなかった。らしい。


自分だけの問題だと思っていた問題は、確実に他人との関連を持っていた。

 

 

 


「この世は一人では生きられない」って言葉は綺麗事のようで嫌いだけど、こんなひねくれたぼくでも納得できるように解釈するなら、「他人の助けがあって生きられるって意味ではなく、何をどうやってもどこかで他人に迷惑をかけてしまう」って考えればいいのかなって。
まあこれは今思ったんだけど。

 

 

 


先日乃木坂46を卒業した中元日芽香さんのブログを見たらさ、こう書いてあった。

 

f:id:ashshmiopeach:20171125050244j:image

 

彼女の卒業とはレベルが違うけど。
考え方の基本は同じで。

自分で抱え込めばいいと思っているのは他人に気を遣っているつもりになっているだけで、実はただの傲慢なんだって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


だからもうこの人たちを裏切れない。
ぼくの人生の中で、数少ないぼくを信頼してくれていた人たち。


いや、そう思っていたけれど実は少なくないのかもしれない。


思い返せば人を裏切ってきた経験は今までもしていた。


ずっと成長していない。


無限に人間関係に支障をきたす。


けど対処できることはしなきゃいけないから。


いまぼくがすべきことは、まだ出来ることは、大学にいるぼくのことを信頼してくれている人たちを裏切らない方法は、ちゃんと大学を卒業すること。

 

 

 

 

 

 

 

 

辞められない。
辞めちゃいけない。
自分の未来のためじゃない。

 

 

 

 

 


人の心を潰しちゃいけないから。

 

 

 

 

 

 

 

またみんなと、笑い合える未来へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぼくの世界には、〝人〟 がいる。