画一的狂乱教育


自分が子供を育てるとなったらどう育てるだろうか。
自由に生きてほしい、そう思う。
自分の好きなことを見つけて、
それにチャレンジし続けて追い求めてほしいと思う。

自分はどうやって育てられただろうか。
現在の関係からそう見えているだけかもしれないけど、
親はお勉強させるのが好きだった。
自分が環境的に勉強できなかったことや
学歴コンプレックスが爆発した結果だろう。

親は子に結局、自分を託す。
みんなエンデヴァー。

さて、それではその結果出来上がった私とは。

やっぱりそれなりに意識の高い親だったし、
お勉強が出来ないわけじゃないけど
別に全然出来る方でもない。
真ん中よりちょっと上くらい。
余談だけど他の能力は全部並以下。

何が残っただろう。
小学校の後半に入った頃だろうか。
いじめを受けたことから中学受験を勧められた。
それまでは存在も知らなかった。
結局難しかったのでやめた。
学校のお勉強が出来れば良いと思ってたし。

たぶん意識が高くなってきたのはその頃から。
良い高校に入って、
良い大学に進学して、
良い職に就いて、
良い給与を得る。
それが人生における善だと、
直接的にではないにしろ叩き込まれた。

中学生の頃にはテストで点が悪ければ怒られたし
頭の良い高校じゃなかったら行かせないからなとかも言われた。
そうなんやって思った。

意識が高くなってきたのは高学年くらいからと書いたけど、
たぶん小さい頃から大学進学が当たり前であるように家庭では会話が交わされ、
その結果として私の世界にある人生のルートは
高校➝大学➝就職以外に存在していなかった。

高校を出て働くのは給与が低いのでやってはいけないこととされた。
少なくとも私の受けた感情の中では。

優秀な高校、大学へ進学し、
優秀な企業へ勤めることはもちろん素晴らしいことで、
私には到底なし得ないことだ。

しかしそれしかルートを知らない人間が人生の岐路に立ったとき、
その人は何か出来るだろうか。

大学進学が当たり前であるという環境で育った私が
18歳の時に就職・専門学校へ行くことは決して誤った道などではなく
むしろ自分の好きなことを追い求める素晴らしい道だと気付いたのに
それでも大学進学しか私の進む先はなかった。

これは言わば60キロで走っている車で交差点の20メートル前まで来て
そこを右折しなければならないことに気付いたところで
絶対にそんなことは出来ないというようなものだ。

今更そんな急に進路を変えることなど出来はしなかった。

ここに書いている全てが言い訳であることは承知の上だが、
今私の頭に浮かぶ感情を素直に吐き出した結果がこれである。

学校に通っていてもこの考えが途中で考え直されることはなかった。
学校も大差ない。
日本教育は画一的機械人間を作り出す。
善は一つだ。

抜け出す方法はいくらでもあるが、
抜け出しやすい人と
抜け出しにくい人が存在しているのは事実だ。

感情が行動になって、人生になるように。
楽しい予感のする方へ。
心が夢中になる方へ。
会いたい自分がいる方へ。